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不法入国から難民キャンプまでを潜入レポート3

   

まじゃるです。

前回の記事の続きです。(最初の記事はこちら

不法入国した移民たちに紛れ込んで、一時収容テントで一夜を過ごしたハンガリー人記者。朝になって警官に叩き起こされた記者は、これからどうなるのか?


 

・・・„wake up, transport!”の後、連れて行かれたのは何かの格納庫、以前はここが移民の収容場所だったらしい。ここで個人データの確認が行われた。といっても、アームバンドに書かれた番号と国籍を、リストに記入していただけだが。・・・

・・・8時にバスに乗せられた。バスは清掃してあり、エアコン付き、全員座ることができたが、行き先は告げられなかった。・・・バスはブダペストを通過して、ジュール方面に向かった。(難民キャンプのある)Vámosszabadiが目的地なのか。・・・到着したのは、ジュール近くの機動隊の敷地だった。・・・

・・・40分ほどバスで待機させられた後、一人ずつバスを降りて、身分確認が行われた。ここで初めて名前を名乗ることになった。・・・ここの通訳は並の人間ではなかった。ハンガリーに移住したニジェール出身のベルベル人で、母語とハンガリー語のほか、アラビア語、仏語、英語、そしてトルコ語と独語も少々、さらにモスクワに留学経験があり、ロシア語もかなり出来る人物だった。・・・

・・・身元確認のための「キルギスの首都は?」「キルギスの主な宗教は?」「パスポートがない理由は?」などの質問を受けた。細かい設定をしておいて良かった。。。・・・その後、最も重要な選択である「難民申請を行うか?」を問われた。申請しなければ、と問うと、2,3ヶ月拘留され、その後セルビアへ送還されるだろうとのこと。というわけで、目標はドイツだったが、ここで難民申請することにする。・・・

・・・その後、連れて行かれたのは、刑務所さながらの鉄格子の中。20平米程度の部屋の中に8人が詰め込まれた。天井の隅にはカメラ、壁いっぱいに手の跡がついていた。マシだったと言えるのは、窓が大きく、部屋が明るいこと、床も汚くはなく、空気も淀んでいなかったこと。・・・しばらくして通訳を通して伝えられたのは、最長24~48時間、ここで拘束されるということ。・・・

・・・この部屋に入って何時間が経ったであろうか。ついに、鉄格子の中から解放される時が来た。それに先立って、ここを出た後についての説明を受けた。・・・今ここにいる難民申請者は、顔写真と指紋を採った後に、Bicskeの難民キャンプに行くことができる。ハンガリー語で書かれた難民申請証明書があれば、Bicskeまで鉄道で移動できる。向こうでは、日中は自由に行動できる。ただし、夜にはキャンプに戻ってこなければならない。戻って来ず、再び捕まった場合は、拘留されることとなる。・・・皆、難民キャンプに向かうと言った。・・・

・・・顔写真の撮影場所までやって来た。私の潜入は目的を達したのだ。・・・今まで隠していた身分証明証を取り出し、自分の正体を明かす。私がやったことに対して、警察官からの罵詈雑言を覚悟していたが、彼らは感情を抑えて、この状況を受け入れたようだ。・・・

・・・私が門の外に出た頃には、もう日付が変わろうとしていた。私と一緒にいた移民たちは、明日早朝の列車で難民キャンプに向かうのだろう。その後、リスクを承知でキャンプを抜け出して、さらに西に向かうかどうか、それは、彼ら次第である。・・・


 
以上、まじゃるでした。


不法入国から難民キャンプまでを潜入レポート1
不法入国から難民キャンプまでを潜入レポート2

ハンガリー語の元記事 (index.huより)

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